塔の上のとりかご

エホバの証人の2世として育ち、離れました

娯楽の制限

わたしは、本を読むことと、絵を描くことがとても好きでした。

 

ですが、当時エホバの証人の娯楽の制限は、とても厳しいものでした。

健全なものでなければ認められず、魔法、戦い、恋愛ものなどは、「ふさわしくない」と言われていました。

魔法少女もの、戦隊もの、少女漫画……興味はあっても、母の前で見ることはできませんでした。

見ていいテレビ番組も1日ひとつと制限されていました。世界名作劇場、スポーツアニメ、わくわく動物ランドなどを見ていました。ドラえもんは集会の時間に被っていて、あまり見られませんでした。

 

集会は、基本的に火、金、日の週に3回あり、それぞれに予習が必要で、個別の聖書研究もあり、土曜日は野外奉仕なので、とても忙しくて遊ぶ暇もあまりありませんでした。


小学校3年生のとき、友達と一旦帰ってからすぐ待ち合わせて遊ぶ約束をしましたが、わたしは個別の聖書研究の日だということを忘れていました。

友達を待たせているからと言っても許してもらえず、聖書研究を終えて大急ぎで待ち合わせ場所に行くと、友達は諦めて帰った後でした。

それ以降、わたしは放課後友達と遊ぶことを諦めました。そもそも、信者以外と遊ぶことは悪い影響を受けるからと非推奨で、母の了解を得るのも一苦労だったのです。

 

漫画は新聞の4コマや学習漫画しか知らず、絵のお手本はぬりえでした。

着せ替え人形や紙芝居をよく作って遊んでいました。

 

わたしはサンリオのキキとララが好きで、よく真似して描いていました。

でもあるとき、信者の間でキキとララは水子供養のキャラクターだという噂が流れ、禁止されてしまいました。とても悲しかったです。

後に、大人になってからこれがデマだと知り、組織から心が離れる決定打になりました。数少ない健全な娯楽にケチがつき、ひどく悲しい思いをしたのに、それがデマだった。神に導かれている組織ではなかったのか、あの日のわたしの痛みは無駄だったのか、と本当にショックでした。

 

小学校5年生のとき、定期的にお小遣いをもらうようになりました。その頃、学校で友達が漫画雑誌の話で盛り上がっていたので、読んでみたくてこっそり買ってみました。

丁度、ちびまる子ちゃんの連載が始まった号のりぼんでした。ときめきトゥナイト星の瞳のシルエットポニーテール白書……女の子の夢がぎっしり詰まっていて、夢中になってしまいました。

 

毎月、親に内緒でりぼんを買いながら、ぼんやりとわたしは楽園(教理上の、善人への報い。天国とは違い、悪人を一掃した地上で実現するとされている。死んだ善人も甦る)に行けないのかなと思っていました。

それでも自制はできなくて、お母さんごめんなさい、とずっと思っていました。

エホバ(神様)ごめんなさい、ではなく、お母さんごめんなさいだったあたり、わたしには初めから信仰なんてなくて、神ではなく母を喜ばせるために宗教をやってたんだなぁ、と思います。

 

音楽にも、スポーツにも制限がありました。

音楽の制限は、わたしが20歳くらいのときが一番厳しかったです。「各々良心に従って選ぶように」と言われていましたが、クラシック、童謡、組織が制作した賛美の歌くらいしか許されない雰囲気でした。(当時の独特の雰囲気で、今はもっとずっと緩いと思います)

スポーツは、戦いNGなので格闘技は禁止されていました。柔剣道の授業を拒否して退学になった人もいました。運動会の騎馬戦なども参加できませんでしたし、対立を煽る応援合戦にも参加できませんでした。国歌も校歌も国旗掲揚も、国や学校を崇拝するものとされて参加できなかったので、毎年運動会は針のむしろでした。

先生にやりませんと自分で言いに行き、了解をもらい、みんなと違うことをしなければならない。とても恥ずかしくて、とても辛かったです。でもそれはあくまで、「自発的に」やることでした。責任は全て自分にありました。

でも、母を喜ばせたい、がっかりさせたくない。ただ、その一心でした。

 

母はとても愛情深い人で、わたしは母を愛していました。今も、愛しています。

数々のことも、ただ真面目に、わたしたちのためになると信じていただけで、動機は心からの愛情だったと感じています。

なので、母を恨む気にはなれません。

そしてもはや、母は宗教から離れて生きることは難しいと思います。

心から信じて人生を捧げてきましたし、人間関係の大部分が組織内にあり、もう高齢の域に差し掛かっています。信者でない父ともうまくやっていますし、信者の友人たちも、基本的に正直で親切な人です。

自分が正しいと思えないからといって、満足している人たちを引き離すのが良いこととは、わたしは思えません。もちろん、深刻な実害があれば別ですが。

実際、心から信じることができれば、心を平穏に、幸せでいられる宗教ではないかと思います。

母は母で、幸せであって欲しいです。

 

ただ、合わない人が、合わないからと言って離れることが許されない。この一点が、この宗教の大きすぎる問題なのだと思います。

大きな罪を犯して除籍される、又は自分から辞めると宣言した場合、行われるのは忌避です。徹底的に、無視される。家族間であっても、必要最低限しか関われない。

多くの2世が違和感を感じても離れられないのは、親兄弟から無視され孤立する恐怖が大きいからだと思います。わたしもそうでした。

なので、離れるにはゆっくりとフェードアウトしてうやむやにするしかありませんでした。

 

この点だけは、どうか組織に寛容になって欲しい。子どもの自由意思を尊重して欲しいと思います。それこそ、洗脳と言われても仕方がない、鞭より、娯楽の制限より、ひどい虐待だと思うのです。

立ち返らせるための愛の処置だと言われていましたが、無視が辛くて戻ってくるなんて……そんなの、信仰もなにも関係ないと思います。