離れるまでの経緯・2
高校卒業後、進学や就職をして欲しいと願う未信者の父を説得してパートの仕事をはじめ、開拓奉仕を目指して補助開拓奉仕をしていた頃、職場のアルバイト大学生Mさんに、わたしの落書きを見られました。
「上手い!師匠になってください!」
もちろん、悪い気はしません。
Mさんはオタク文化にどっぷりな人でした。
わたしは鉛筆書きのイラストを見せ、MさんはTRPGのNPCとして使うキャラクターを描いて欲しいと依頼してきました。
何度か現代ものの依頼が続いた後、今度はファンタジーのキャラクターを描いて欲しいと言われました。
わたしはファンタジーへの造詣が浅かったので、資料として色々な本を貸してくれました。
もともと、好きだったことです。面白くてたまりません。
ゲーム機も貸してくれ、夜中にこっそりプレイしたりしました。
エホバの証人的に悪いとわかっているけれど、やめられない。
こんなに面白いことは初めてでした。
オリジナル作品を書いて見てもらったり、どんどんハマりこんでいきました。
そんなある日、わたしは依頼されたイラストを描いている途中で眠り込み、母に見つかってしまいました。
「あなたの様子がおかしいと思って祈っていたのよ」
罪悪感は持っていました。もう楽しみは終わりだと思いました。
諭されてすぐに反省しました。
長老を呼ばれ、話し合いになりましたが、最初から全面降伏でした。
Mさんに謝り、全てから手を引き、気がそれないよう自分を追い込む形で、開拓奉仕を始めました。
漫画もほとんど捨てました。
これからは専念するのだと思いました。
エホバとか、正直どうでもよかった。
わたしは母を悲しませるのが、何より怖かったのです。
母を喜ばせる娘になろう。
その一心でした。
母が信じていることをわたしも信じたい。
母の感じている喜びをわたしも理解したい。
やがて、親が引っ越すことになった開拓者の友人と、パートナー生活(同性信者二人でルームシェアをすること)を始めました。
月7万ほどの収入で、家賃35000円のアパートに暮らし、月の共同食費は15000円、光熱費その他10000円。お互い3万ずつ出してやりくりしていました。
奉仕、仕事、集会、家事。宗教的に充実した日々です。
頑張って、頑張って、頑張って
22歳頃から、ニキビが出始めました。
すごい勢いで広がり、膿だらけの汚い顔。
色々試しましたがなかなか良くならず、若い盛りに容姿への自信をすっかりなくしました。
そして、23歳になった頃。
朝、中々起き上がれなくなりました。
だるくて、体に力が入らなくて、血の気が引く感覚。
病院に行きましたが、貧血も何もありません。
健康食品を試したり、漢方薬を飲んだりしましたが、具合は悪くなる一方です。
何の検査をしても異常はなく、パートナー生活のストレスのせいだろうと思いました。
開拓奉仕をやめて、パートナー生活を解消し、実家に戻ることになりました。
このときは、負担を減らして少し休めば、すぐ元に戻ると思っていました。