塔の上のとりかご

エホバの証人の2世として育ち、離れました

離れるまでの経緯・4

インターネットを始めて、わたしの世界が劇的に広がりました。

それまで知らなかった、色々な人の色々な考え、価値観。

あえて世間知らずでいたけれど、本当に何も知らなかった。

 

罪深く、道徳観念が弱く、利己的だと思っていた世の人たちが、どれだけ深く考え、学び、真摯に生きているか。

エホバの証人の考え方が、どれだけ偏っていて狭量か。

 

聖書で黄金律と言われる、イエスの言葉。

『自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません』(マタイ 7:12)

全世界の人がこれさえ守れば、争いはなくなる、全てがうまくいく。と、教えられていました。

 

でも人々の自己主張を気軽に見られるインターネットを始めて思い知ったのは、自分と他人の感覚が違うこと。

同じことを嬉しいと感じる人もいれば、迷惑に思う人もいる。人それぞれだということ。

わたしは自分の基準で考えて的を外してばかりいて、人の気持ちの機敏が全然わかってない、と愕然としました。

黄金律は、悪い言葉ではないけど、黄金ではなかった。優しさで上位にいる気になってたけど、全くそんなことはなかったのです。

 

多角的な見方を身につけ、偏見を払い、自分の意見を持ったバランスの良い人にならなければ、と思いました。

 

同時に、自分に対する周囲からの評価の高さにも驚きました。

 

今まで罪だと思っていたものは、世間では全く罪ではなかったので、わたしは完全に善人でした。

こっそりやっていた趣味も、ネット上ではおおっぴらに見せられるし、むしろ褒められます。

エホバの証人の間で押し込めなければならなかった、否定されていた自分を解放しても、何の問題もなかった。上っ面ではない、素のわたしが認められ、好まれる。

世の中でのわたしは、自分の罪を恥じ、隅っこで申し訳なさそうに生きるべき人では、断じてなかったのです。

 

個人サイトで趣味を通じて繋がり、mixiで輪を広げ、オフ会に顔を出し、親しい人間関係はエホバの証人内にしかなかったわたしに、それ以外の場所ができました。

偽らない自分と向き合い、自分の気持ちがわかるようになっていきました。

 

少し元気になったわたしは、パート先の経営が変わったのを機に、転職しました。

開拓奉仕にはこだわらず、ぼちぼちやっていくつもりでした。

しばらくそれでうまく回っていました。

 

でも、自分の気持ちがはっきりするにしたがって、どんどん霊的活動がつらくなってきました。

そんな中、妹が会衆の人間トラブルに巻き込まれました。

妹が仲良くしていた子に濡れ衣を着せられ、その子の母親に責められ、母娘は「こんなひどいところにいられない」と引っ越して行きました。

それから、気を取り直して別の子と仲良くしていたら、その子が排斥されました。発表前日まで一緒に遊んでいたので、呆然としていました。

そんな心労が続いた影響かわかりませんが、妹はうつ病を発症しました。

仕事を続けることができなくなり、障がい者手帳をもらう事態になりました。

集会もなかなか行けない状態でした。

それに引っ張られるように、わたしも状態が悪くなりました。

集会でまともに座っていられなくなり、息苦しくて途中で車に避難することが続き、様子を見かねた母に病院へ連れていかれました。

 

うつの診断は下りませんでしたが、わたしのはうつというより、拒否反応だったのだと思います。

もはや、集会へ行くことを体が受け付けなくなっていました。

 

母を悲しませたくないからといって、自分を偽って生きることはできないのだなあ、と思いました。

わたしは不調を理由に、集会へ行くのをやめました。