塔の上のとりかご

エホバの証人の2世として育ち、離れました

離れるまでの経緯・5

集会に行かなくなったことでだいぶ気持ちが軽くなったわたしでしたが、母はわたしを繋ぎ止めるために何かと心を砕いていました。

他の経験談でよく見る、子供の気持ちを考えようとせず「真理」を押し付けてくる親では、けしてありませんでした。

母は、気持ちを聞かせて欲しい。エホバの証人をやめたいわけではないのか。つらい思いをさせたと思うが、昔の鞭のことをどう思っているか。と聞いてきました。

 

わたしは、

やめたいとかもう信じられないというわけではないが、わたしはどうしても奉仕に喜びが持てない。限界まで頑張っても体を壊しただけだった。エホバの証人には必須なのに、それが負担でしかないのは、自分が罪深いからだと思い続けてきた。

鞭に関して母に恨みはない。組織の指示を曲解した周囲の暴走もあったと理解している。

だが、何を言えば叩かれずに済むか、ずっと緊張していた。自分の気持ちを素直に言うと叩かれると思っていた。自分の気持ちを封じて、神の教えとすり替え、それが本心だと信じようとした。信じたかった。

自分の気持ちがわからなくなり、体を壊してから自分と向き合ったら、奉仕がどうしても嫌いだとわかってしまった。エホバの証人の根本と相反するので、絶望して苦しくて集会に行けなくなった。

というようなことを話しました。

ほぼ、本当の気持ちです。

 

ただ、もう信じられないしやめたい、と言うのは避けました。

それを言ってしまうと「断絶」になるから。

 

エホバの証人をやめるルートには3つあります。

「排斥」「断絶」「不活発」。

 

「排斥」は、罪を犯して除籍処分を受けることです。

「断絶」は、自らやめると宣言することです。

「不活発」は、在籍はしているが、活動していないことです。

 

排斥と断絶は、忌避の対象となります。

心から悔い改めない限り、信者からの徹底無視に遭います。

家族も例外ではなく、必要最低限の会話しかできないことになっています。

 

それはどうしても避けたかった。

母は愛情に溢れた人ですが、とても素直で真面目でエホバの証人を心から信じているので、信仰を曲げることはないでしょう。

血を吐く思いで、わたしを避けるでしょう。

 

だから、「不活発」でフェードアウトしてお茶を濁したかったのです。

 

母は、わたしの説明に納得してくれました。

「あなたが元気なのが一番だから」と言ってくれました。

わたしも、母が幸せで元気そうなのが一番です。

だから、エホバの証人を信じる母も尊重したいと思っています。

エホバの証人は、信じていれば、死の怖れからは解放されます。

老いてきた母が、死を怖れずたくさんの友達と穏やかに過ごせるのなら、その方がいいと思うのです。

 

母の幸せを祈る一方で、

わたしは、わたしの幸せも大事にしよう。

と、思いました。