塔の上のとりかご

エホバの証人の2世として育ち、離れました

『半分、青い』を見ていて思う

今期朝ドラ『半分、青い』、「おいおい!全くお前ってやつは!」とかツッコミ入れつつも、かなり楽しんで見てます。

 

欠点だらけの主人公に賛否両論ですが、個人的に大事なのは「お前ってそういう奴だよ……」と思えること。自分を持って生きていること。
大変、生き生きとした力のある作品だと思います。

 

わたしは幼少時からずっと、不寛容なエホバの証人の中で、欲を封じて生きていました。

そして教理と相容れない他人を否定しなければならないのが、とてもとても苦しかった。

 

わたしは今、他人に寛容になれることが、切実に嬉しいのです。
様々な個性、細かい間違いを許容して、愛情を持ってもいいという自由!

 

だからこの、主人公の欲の風通しの良さが清々しく心地よいし、間違えても愛される姿にほっとします。
そんな風に生きてもいい。いつも正しくなくていい。

 

個性豊かな人々が、自分を否定しないで生きる世界は美しいなあ、と思います。

ご近所さんの影

夏休み、去年までは熊本に帰省してましたが、今年からわたしが仕事を始めたので、子守り要員として母と妹を関西に召喚しました。

 

木曜日、母と妹は集会に行きました。

そしたら、うちと同じマンションで子育てしてる人と知り合ってきた……。

4歳と0歳の娘がいらっしゃるそうで、うちの4歳娘とは学年が違いそうだけど、今後接する可能性は高そう。

顔見知りには思い当たりません。大きいマンションだしね。

 

別に、わたしはエホバの証人と娘を遊ばせることに抵抗はないんですけど、

金曜日にお家に誘われたからと、わたしが仕事の間に娘たちを連れて行く相談をしてたので、

さすがにご自宅に娘たちをお邪魔させるのは、せめてわたしに面識ができてから、と遠慮しました。

 

次の機会……と思っていたら、帰省するから妹滞在中にはもう会えないらしいです。

顔は把握しておきたかったんだけどなぁ、なんか全てが不透明でもやもやするー!

 

まあ、今後仲良くなったとしても、宗教的にはほだされない自信があります。

あれだけ信じたかったのに、信じられなかったんだものね(笑)

宗教抜きで接点を持てるのなら、興味はあります。

どんな人なんだろ。

離れるまでの経緯・7

結婚したい旨、母にメールで伝えると、母は大変動揺しました。

とにかく、相手に会って話したいと、急遽東京に来ることになりました。

 

新宿で待ち合わせ、3人で食事をしました。

食事は、和やかにできました。その後、

「いい人だけど、世の人だから賛成するわけにはいかない。でも、お父さんの決定には従う」

と言われました。

「あなたに滅んで欲しくない」と泣かれました。

許されるが、祝福はされない。

わかっていましたが、悲しくて、Dさんに報告しながら泣きました。

 

動揺した母のことは、弟がなだめてくれたようです。

弟は、エホバの証人として大変立派に育ち、嫁の実家の会衆で、当時は長老をしていました。

弟も妹も、冷静に受け止めてくれました。

ただ、結婚式には出席しないと言われました。

 

母だけは、父の意向に従うという形で、結婚式に出席してくれました。

なのでもし、父が信者だったら、家族が誰も出席しない結婚式になったでしょう。

本当に、孤独の圧力に屈せず、信者にならなかった父に感謝です。それでいて、宗教活動を迫害することもなく、尊重してくれました。

 

結婚式は東京で行い、母に配慮するのを一番の理由に、宗教の絡まない人前式にしました。

 

それから。

想像以上に、幸せな日々が始まりました。

 

家族の間で、何も秘密にしなくていい。我慢しなくていい。何を望んでも応援してもらえる。

自分の気持ちを偽る必要が、何もない。

そして我慢をしないわたしが、何ら邪悪だとは思えない。ありのままでいても、罪深さに気持ちが塞ぐなんてことがない。

わたしが心からすることで、夫は笑顔になり、愛してくれる。

 

劇的に自尊心が再構築されました。

わたしは、とるに足りない罪人ではない。

 

そして子供ができたら、更に子供はわたしを絶対的存在として愛してくれます。

ここに存在しなくていい理由が何もなくなりました。

 

今滅びたとしても、この一瞬を得られたのなら悔いはない。

そんな気持ちが日々大きくなります。

抑圧されていたからこそわかる、自由の幸せ。

自分が悪だと苦しみ続けたからこそわかる、許される世界のありがたさ。

 

神の許しと言いますが、神は全て包み込んでくださると言いますが、それは、

「お前らめっさ悪いけど」

が前提なんですよね。

罪深いけど許してもらえてるから感謝しなければならないと。

 

それが世に出たら、

「そもそも君、何も悪くないよ」

と、受け入れてもらえるのです。

そりゃ、失敗して責められることもあるでしょう。でもそれは、相手に自分を滅ぼす権利を与えるほどのものには、よほどでなければならないはず。

 

この解放感。幸せ。

自分が悪人ではないと思える、幸せ。

 

この一点をもっても、組織から離れたことに何の悔いもありません。

そして、このなにげないことをこれほど幸せに思えるのであれば、苦しんだ経験も無駄ではなかったかもしれません。

 

母からは、まだ諦めていない手紙が届きますが、わたしが幸せそうなのを見て安心しているようですし、ほどほどの距離感で仲良くしています。

写真共有アプリや、毎週のスカイプで孫の顔を見せています。

 

自分の意思ではなく組織にいて苦しんでいる二世の皆さんには、是非この幸せを知って欲しいです。

それに対する一番のネックは、やはり忌避のシステム。

エホバの証人を否定はしませんが、どうしてもこれだけは納得がいきません。それぞれの自由意思をもっと尊重できるようになればと、願ってやみません。

 

(了)

離れるまでの経緯・6

集会に行かなくなった後、わたしは本格的にフルタイムの仕事に転職しました。

が、これが結構なブラック企業で、逃げ出したい、でも事務の仕事は求人倍率すごくて苦労したから、何か資格を取って別の仕事の道も探したい、と思っていました。

 

このブラック企業に我慢も限界!となったタイミングで、定年退職した父が、退職金の一部を生前贈与すると言い出しました。

あ、ありがたい……資格取得の資金になる!

わたしは仕事をやめ、東京で一年間資格の勉強をすることにしました。

一年後資格がとれたら、故郷に戻る予定でした。

 

その頃、ネット上で仲良くしている男性がいました。

3歳年下で、Dさんといいます。

恋愛的な期待をにおわせずに接してくれて、近づいても勘違いしない安心感がありました。

mixiでできたサークル内で、彼は筋肉系下ネタキャラ、わたしは清純キャラと一見正反対でしたが、不思議とうまが合いました。

彼に対しては頼りになる兄かつ世話の焼ける弟の感覚で、わたしは彼に好きな人ができる度に相談に乗ったり応援したりしていました。

「綾さんはなんで恋愛しないの?」

「実は宗教やってて、宗教外の人との恋愛が許されないんだ。でも本当はやめたいから、宗教内の人とも恋愛したくなくて」

そんな、他には話せなかった、踏み込んだ会話もしていました。

 

Dさんは、東京に住んでいました。

わたしが東京に出ることになったとき、家を探す相談に乗り、何かと手伝ってくれました。

2009年10月、東京に引っ越しました。

派遣の仕事をしながら、資格の勉強をしました。

 

東京近郊には、10年近くのネット交流でできた友達がたくさんいて、実家の縛りもなくなり、人生初の心置きなく遊べる自由を満喫しました。

特に、率先して企画してくれるDさんとはよく遊びました。

飲み会、バーベキュー、たこ焼きパーティー、カラオケ、クリスマス、初詣、鍋パーティー、誕生日、お花見……

楽しくて楽しくて、夢のようでした。

 

Dさんとは、みんなで行こうぜ!から、二人で行こう、になり、クリスマスの食事に誘われ、「君ら付き合ってるの?」みたいな状態になっていましたが、お互い煮え切らないまま、春を迎えました。

Dさんにはとても懐いている妹分がおり、その子が好きオーラを放っているのに、Dさんは無頓着に構っていました。

Dさんの部屋に押し掛けて、Dさんのベッドで昼寝したり。やれやれ仕方ないなと嬉しそうなDさん。

わたしは、Dさんが幸せならいいと思っていたので、Dさん、その子とお付き合いするつもりなら、わたしと二人で会うのはやめましょう、と、手を離そうとしました。

(思い返せば、自分の幸せを大事にしようと決意した割に、まだまだ無頓着でしたね……)

Dさんは大慌てで、告白してきました。

 

友人付き合いを始めて5年で、気心も知れていましたから、気持ちが通じれば早かったです。

4月に付き合い始め、5月にプロポーズされました。

まあ、年齢的にもわたしは34でしたし、婚前交渉がダメだと伝えてあったのも大きかったかも。

 

さて、ここで重要なのは、 

エホバの証人の未信者との結婚は非推奨だが、罪ではない

ということです。

 

祝福はされませんが、排斥対象ではありません。罪は、婚外の性交渉であって、正式な結婚は不道徳ではないのです。

世との交わりは罪を誘発するから避けるべきなのであって、それ自体は禁止されていません。

そして、徹底した男尊女卑があり、「頭の権」を重んじるエホバの証人。神の命令に背く内容でない限りは、夫の決定が絶対です。

 

つまり、組織から距離を置いてフェードアウトしたい人、特に2世の女性にとっては、未信者との結婚は最高の手段です。

管理権が親から夫に移り(←エホバの証人的見地から見て)、宗教的に手を出しにくい位置に行きながら、信者家族との交流を保てます。子供ができれば、親も孫可愛さに態度が軟化しますしね。

 

わたしはDさんのおかげで、最高の脱出への道を手に入れたのでした。

そしてそこに至れたのは、未信者として家の中で孤立したまま頑張り、退職金を分けてくれて東京行きに賛成してくれた父のおかげなので、父にも感謝しています。

離れるまでの経緯・5

集会に行かなくなったことでだいぶ気持ちが軽くなったわたしでしたが、母はわたしを繋ぎ止めるために何かと心を砕いていました。

他の経験談でよく見る、子供の気持ちを考えようとせず「真理」を押し付けてくる親では、けしてありませんでした。

母は、気持ちを聞かせて欲しい。エホバの証人をやめたいわけではないのか。つらい思いをさせたと思うが、昔の鞭のことをどう思っているか。と聞いてきました。

 

わたしは、

やめたいとかもう信じられないというわけではないが、わたしはどうしても奉仕に喜びが持てない。限界まで頑張っても体を壊しただけだった。エホバの証人には必須なのに、それが負担でしかないのは、自分が罪深いからだと思い続けてきた。

鞭に関して母に恨みはない。組織の指示を曲解した周囲の暴走もあったと理解している。

だが、何を言えば叩かれずに済むか、ずっと緊張していた。自分の気持ちを素直に言うと叩かれると思っていた。自分の気持ちを封じて、神の教えとすり替え、それが本心だと信じようとした。信じたかった。

自分の気持ちがわからなくなり、体を壊してから自分と向き合ったら、奉仕がどうしても嫌いだとわかってしまった。エホバの証人の根本と相反するので、絶望して苦しくて集会に行けなくなった。

というようなことを話しました。

ほぼ、本当の気持ちです。

 

ただ、もう信じられないしやめたい、と言うのは避けました。

それを言ってしまうと「断絶」になるから。

 

エホバの証人をやめるルートには3つあります。

「排斥」「断絶」「不活発」。

 

「排斥」は、罪を犯して除籍処分を受けることです。

「断絶」は、自らやめると宣言することです。

「不活発」は、在籍はしているが、活動していないことです。

 

排斥と断絶は、忌避の対象となります。

心から悔い改めない限り、信者からの徹底無視に遭います。

家族も例外ではなく、必要最低限の会話しかできないことになっています。

 

それはどうしても避けたかった。

母は愛情に溢れた人ですが、とても素直で真面目でエホバの証人を心から信じているので、信仰を曲げることはないでしょう。

血を吐く思いで、わたしを避けるでしょう。

 

だから、「不活発」でフェードアウトしてお茶を濁したかったのです。

 

母は、わたしの説明に納得してくれました。

「あなたが元気なのが一番だから」と言ってくれました。

わたしも、母が幸せで元気そうなのが一番です。

だから、エホバの証人を信じる母も尊重したいと思っています。

エホバの証人は、信じていれば、死の怖れからは解放されます。

老いてきた母が、死を怖れずたくさんの友達と穏やかに過ごせるのなら、その方がいいと思うのです。

 

母の幸せを祈る一方で、

わたしは、わたしの幸せも大事にしよう。

と、思いました。

離れるまでの経緯・4

インターネットを始めて、わたしの世界が劇的に広がりました。

それまで知らなかった、色々な人の色々な考え、価値観。

あえて世間知らずでいたけれど、本当に何も知らなかった。

 

罪深く、道徳観念が弱く、利己的だと思っていた世の人たちが、どれだけ深く考え、学び、真摯に生きているか。

エホバの証人の考え方が、どれだけ偏っていて狭量か。

 

聖書で黄金律と言われる、イエスの言葉。

『自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません』(マタイ 7:12)

全世界の人がこれさえ守れば、争いはなくなる、全てがうまくいく。と、教えられていました。

 

でも人々の自己主張を気軽に見られるインターネットを始めて思い知ったのは、自分と他人の感覚が違うこと。

同じことを嬉しいと感じる人もいれば、迷惑に思う人もいる。人それぞれだということ。

わたしは自分の基準で考えて的を外してばかりいて、人の気持ちの機敏が全然わかってない、と愕然としました。

黄金律は、悪い言葉ではないけど、黄金ではなかった。優しさで上位にいる気になってたけど、全くそんなことはなかったのです。

 

多角的な見方を身につけ、偏見を払い、自分の意見を持ったバランスの良い人にならなければ、と思いました。

 

同時に、自分に対する周囲からの評価の高さにも驚きました。

 

今まで罪だと思っていたものは、世間では全く罪ではなかったので、わたしは完全に善人でした。

こっそりやっていた趣味も、ネット上ではおおっぴらに見せられるし、むしろ褒められます。

エホバの証人の間で押し込めなければならなかった、否定されていた自分を解放しても、何の問題もなかった。上っ面ではない、素のわたしが認められ、好まれる。

世の中でのわたしは、自分の罪を恥じ、隅っこで申し訳なさそうに生きるべき人では、断じてなかったのです。

 

個人サイトで趣味を通じて繋がり、mixiで輪を広げ、オフ会に顔を出し、親しい人間関係はエホバの証人内にしかなかったわたしに、それ以外の場所ができました。

偽らない自分と向き合い、自分の気持ちがわかるようになっていきました。

 

少し元気になったわたしは、パート先の経営が変わったのを機に、転職しました。

開拓奉仕にはこだわらず、ぼちぼちやっていくつもりでした。

しばらくそれでうまく回っていました。

 

でも、自分の気持ちがはっきりするにしたがって、どんどん霊的活動がつらくなってきました。

そんな中、妹が会衆の人間トラブルに巻き込まれました。

妹が仲良くしていた子に濡れ衣を着せられ、その子の母親に責められ、母娘は「こんなひどいところにいられない」と引っ越して行きました。

それから、気を取り直して別の子と仲良くしていたら、その子が排斥されました。発表前日まで一緒に遊んでいたので、呆然としていました。

そんな心労が続いた影響かわかりませんが、妹はうつ病を発症しました。

仕事を続けることができなくなり、障がい者手帳をもらう事態になりました。

集会もなかなか行けない状態でした。

それに引っ張られるように、わたしも状態が悪くなりました。

集会でまともに座っていられなくなり、息苦しくて途中で車に避難することが続き、様子を見かねた母に病院へ連れていかれました。

 

うつの診断は下りませんでしたが、わたしのはうつというより、拒否反応だったのだと思います。

もはや、集会へ行くことを体が受け付けなくなっていました。

 

母を悲しませたくないからといって、自分を偽って生きることはできないのだなあ、と思いました。

わたしは不調を理由に、集会へ行くのをやめました。

 

離れるまでの経緯・3

実家に戻って補助開拓奉仕をしながら、少しゆっくり……

 

と思っていましたが、起き上がれる時間が少なくなってきました。

昼から夕方までの仕事に行くので精一杯。

行けば仕事はこなせますが、集会では起きていられません。

ものを食べるのにも体力がいるのだ……と、初めて知りました。

食欲がないというより、食べて消化する力がない。

 

寝ている時間が増え、どんどん痩せました。

160cm40kgになり、ノースリーブワンピを来たら肩が尖って食糧不足の難民みたいでした。

精神科にも行ってみましたが、「眠れない」という症状がないので、うつなどの診断は下りませんでした。それどころか、「あなたよりずっと大変な人がたくさんいる」などと言われ、恥ずかしい思いをして帰りました。

今は、「過眠」という症状もあるし、あれは医者にあるまじき暴言だったとわかりますが。

 

勝手に涙が出て何の涙かわからないし、ストレスと言われても何がストレスなのか、自分の気持ちがわからない。

回復のとっかかりがわからず、自分と向き合う必要を感じました。

 

自分の好きなことを、楽しいことを、思い出さなければ。

生きる実感も希薄な中、手に取ったのは好きだった漫画、そしてゲームでした。

 

面白い。

そう思う気持ちが、救いでした。

少しずつ、食べる力がわきました。

 

プレステを買い、ファイナルファンタジーアトリエシリーズアンジェリークときメモなどをプレイしました。

体が動かなくても、ゲームはできます。

わくわくする気持ちが帰ってきました。

 

その頃、エホバの証人にもデジタル化の波が来ていました。

Watchtower Libraryという、雑誌や書籍などの情報をまとめたCD-ROMが発行され、その利用を口実に、わたしもパソコンを買いました。

月8時間のプランで、インターネットを始めました。

 

わたしはもともとパソコンなどが好きで、高校は情報処理科を専攻し、高校生としては難しい資格も取得していました。

絵も好き、物語を作るのも好きでした。

CGに手を出し、HTML手打ちでホームページを作るようになるのに、時間はかかりませんでした。

 

漫画、ゲーム、ファンタジー。

あのとき、活動に専念するため捨てた趣味に戻ってきました。

でももう、エホバの証人の活動は限界までやるだけやったので、確信がありました。

 

どんなに頑張っても、わたしは信仰を持てない。

奉仕活動は好きになれない。

 

頑張るのはもう、ほどほどでいい。

当たり障りのない程度やればいい。

 

人生は棒に振るだろうけど、母が穏やかに過ごせるのなら、犠牲になろう。

エホバの証人として、母が満足するわたしでいよう。

でも、自分の心も守る。

隠れて趣味をやる。わたしが死なないように。

 

それが、24歳のわたしでした。