塔の上のとりかご

エホバの証人の2世として育ち、離れました

離れるまでの経緯・7

結婚したい旨、母にメールで伝えると、母は大変動揺しました。

とにかく、相手に会って話したいと、急遽東京に来ることになりました。

 

新宿で待ち合わせ、3人で食事をしました。

食事は、和やかにできました。その後、

「いい人だけど、世の人だから賛成するわけにはいかない。でも、お父さんの決定には従う」

と言われました。

「あなたに滅んで欲しくない」と泣かれました。

許されるが、祝福はされない。

わかっていましたが、悲しくて、Dさんに報告しながら泣きました。

 

動揺した母のことは、弟がなだめてくれたようです。

弟は、エホバの証人として大変立派に育ち、嫁の実家の会衆で、当時は長老をしていました。

弟も妹も、冷静に受け止めてくれました。

ただ、結婚式には出席しないと言われました。

 

母だけは、父の意向に従うという形で、結婚式に出席してくれました。

なのでもし、父が信者だったら、家族が誰も出席しない結婚式になったでしょう。

本当に、孤独の圧力に屈せず、信者にならなかった父に感謝です。それでいて、宗教活動を迫害することもなく、尊重してくれました。

 

結婚式は東京で行い、母に配慮するのを一番の理由に、宗教の絡まない人前式にしました。

 

それから。

想像以上に、幸せな日々が始まりました。

 

家族の間で、何も秘密にしなくていい。我慢しなくていい。何を望んでも応援してもらえる。

自分の気持ちを偽る必要が、何もない。

そして我慢をしないわたしが、何ら邪悪だとは思えない。ありのままでいても、罪深さに気持ちが塞ぐなんてことがない。

わたしが心からすることで、夫は笑顔になり、愛してくれる。

 

劇的に自尊心が再構築されました。

わたしは、とるに足りない罪人ではない。

 

そして子供ができたら、更に子供はわたしを絶対的存在として愛してくれます。

ここに存在しなくていい理由が何もなくなりました。

 

今滅びたとしても、この一瞬を得られたのなら悔いはない。

そんな気持ちが日々大きくなります。

抑圧されていたからこそわかる、自由の幸せ。

自分が悪だと苦しみ続けたからこそわかる、許される世界のありがたさ。

 

神の許しと言いますが、神は全て包み込んでくださると言いますが、それは、

「お前らめっさ悪いけど」

が前提なんですよね。

罪深いけど許してもらえてるから感謝しなければならないと。

 

それが世に出たら、

「そもそも君、何も悪くないよ」

と、受け入れてもらえるのです。

そりゃ、失敗して責められることもあるでしょう。でもそれは、相手に自分を滅ぼす権利を与えるほどのものには、よほどでなければならないはず。

 

この解放感。幸せ。

自分が悪人ではないと思える、幸せ。

 

この一点をもっても、組織から離れたことに何の悔いもありません。

そして、このなにげないことをこれほど幸せに思えるのであれば、苦しんだ経験も無駄ではなかったかもしれません。

 

母からは、まだ諦めていない手紙が届きますが、わたしが幸せそうなのを見て安心しているようですし、ほどほどの距離感で仲良くしています。

写真共有アプリや、毎週のスカイプで孫の顔を見せています。

 

自分の意思ではなく組織にいて苦しんでいる二世の皆さんには、是非この幸せを知って欲しいです。

それに対する一番のネックは、やはり忌避のシステム。

エホバの証人を否定はしませんが、どうしてもこれだけは納得がいきません。それぞれの自由意思をもっと尊重できるようになればと、願ってやみません。

 

(了)