塔の上のとりかご

エホバの証人の2世として育ち、離れました

入信の経緯

わたしの家族は、父、母、2歳下の弟、5歳下の妹の5人でした。

母がエホバの証人と聖書研究を始めたのは、わたしが4~5歳の頃です。

母の姉が入信しており、本を受け取っていた母は、訪問したエホバの証人にその本を見せ、子育てに悩んでいたのをきっかけに研究に応じました。

 

母は自我が弱く、自分より他人を優先する、いわゆるお人好しなタイプで、父と結婚したのも「断ったら可哀想」という理由でした。

自分の意志があまりなく、承認欲求が強い母に、「こうしていれば間違いない」と明確に指示をくれるエホバの証人の教理はぴたりとハマったようです。

 

わたしが初めて集会に行ったのは、幼稚園年長の頃だったと思います。定期的に行くようになったのは、小学1年生の頃です。

その頃のわたしは知識を増やすのが楽しく、周囲に比べて賢くなったようで誇らしく思っていました。

 

1年生のときの担任は宗教的なものに寛容で、覚えた聖句を披露したりすると、とても褒めてくれました。

でも、2年生のときの担任は冷たい反応で、ショックを受けました。聖書を勉強したら、みんなに褒められるのではないの?と。

 

そして、2年生になる頃には、母の子育ても厳しくなりました。研究司会者に勧められるまま、子育てに鞭が導入されました。

細い棒などでお尻を叩く、体罰です。

パンツを脱いで四つん這いになり、叩かれた後は「ありがとうございました」とお礼を言わなければなりません。

叩けば叩くほど、子どもの中の悪霊が追い出され、従順に健やかに育つと言われていました。

わたしもそれを信じ、嫌でたまらないけれど、自分に悪霊がついているから仕方ないのだと思っていました。

 

でも、叩かれる基準がよくわからず、とにかく親の顔色を伺い、不用意なことをしゃべらないよういつも緊張していました。そうして努力しても鞭は回避できず、自分についた悪霊の根深さに絶望し、自尊心はどんどん低くなっていったと思います。

鞭に関しては母にも戸惑いがあったようですが、当時の母の研究司会者に厳しく指導され、それが子どもの為だと信じ、言われるがままに叩いていました。特に、学校にも幼稚園にも行っていなかった小さな妹が散々叩かれました。

母も、このときのことは後悔しているそうです。

 

異教の習慣だからということで、誕生日やクリスマスを祝わなくなったのもこのころでした。

母に連れられて野外奉仕(伝道活動)に参加するようにもなりました。人見知りなので、恥ずかしくてとても嫌でしたが、逆らう選択肢はなく、褒められようと頑張りました。

 

母はどんどん熱心になり、わたしが3年生のとき、バプテスマを受けて正式な信者になりました。

この頃には、わたしは家の宗教は対外的に恥ずかしいものだと認識し、なるべく隠したいと思うようになっていました。