離れるまでの経緯・1
違和感を感じたのは、いつからだったか。
『奉仕(伝道活動)は喜び』
『神の愛に心が動き、語らずにはいられない』
霊性が高ければ、当然起こるはずの反応とされることが、どんなに頑張ってもわたしには起こらなかった。
奉仕は大嫌い。
恥ずかしいから黙っていたい。
サタンの影響を受けているからだ……
わたしが罪深いからだ……
と、落ち込んだけれど、
いや、普通に嫌だよね。
と、今は思います。
でも、そんな判断できなかった。
『子供たちよ、主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです』(エフェソス6:1)
子どもにはわからないことも多いが、親に従えば間違いない。
逆らうな。神が親に権限を与えている。
『義なる者たちの道筋は、日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増してゆく輝く光のようだ』(箴言 4:18)
知識が増えて賢くなるにつれ、それまで理解できなかったことがわかるようになる。
納得いかない、わからないと思っても、深い理由があるからとりあえず従っておけば良い。
時々組織の教義が変わるのもそのせい。時代に合わせて成熟し、理解が深まったのだ。
『愚かさが少年の心に愚かさが繋がれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』(箴言 22:15)
一言で言うと、性悪説。
子どもはサタンの影響を受けやすい。親が引き剥がさないとダメ。
そんな教えの数々で、自尊心は崩壊し、評価を依存し、
違和感は全て
「わたしがバカだから、悪いから」
で、片付けていました。
でも、頑張って霊性を高めれば消えると思っていた、「バカさ」「悪さ」は、とてもしつこくて、どんなに頑張っても消えなかった。
予習が面倒。
集会行きたくない。
野外奉仕なんて大嫌い。
神の存在の実感なんてない。
組織に所属してるのが恥ずかしい。
証言なんてしたくない。皆と一緒がいい。
言われる通りのことをして、
自分でも思い込もうとして、
大好きな漫画も捨てて、進学も就職も諦めて、
どんなに「進歩」してもついて回るので、
自分は相当な性悪なんだと思っていました。