離れるまでの経緯・2
高校卒業後、進学や就職をして欲しいと願う未信者の父を説得してパートの仕事をはじめ、開拓奉仕を目指して補助開拓奉仕をしていた頃、職場のアルバイト大学生Mさんに、わたしの落書きを見られました。
「上手い!師匠になってください!」
もちろん、悪い気はしません。
Mさんはオタク文化にどっぷりな人でした。
わたしは鉛筆書きのイラストを見せ、MさんはTRPGのNPCとして使うキャラクターを描いて欲しいと依頼してきました。
何度か現代ものの依頼が続いた後、今度はファンタジーのキャラクターを描いて欲しいと言われました。
わたしはファンタジーへの造詣が浅かったので、資料として色々な本を貸してくれました。
もともと、好きだったことです。面白くてたまりません。
ゲーム機も貸してくれ、夜中にこっそりプレイしたりしました。
エホバの証人的に悪いとわかっているけれど、やめられない。
こんなに面白いことは初めてでした。
オリジナル作品を書いて見てもらったり、どんどんハマりこんでいきました。
そんなある日、わたしは依頼されたイラストを描いている途中で眠り込み、母に見つかってしまいました。
「あなたの様子がおかしいと思って祈っていたのよ」
罪悪感は持っていました。もう楽しみは終わりだと思いました。
諭されてすぐに反省しました。
長老を呼ばれ、話し合いになりましたが、最初から全面降伏でした。
Mさんに謝り、全てから手を引き、気がそれないよう自分を追い込む形で、開拓奉仕を始めました。
漫画もほとんど捨てました。
これからは専念するのだと思いました。
エホバとか、正直どうでもよかった。
わたしは母を悲しませるのが、何より怖かったのです。
母を喜ばせる娘になろう。
その一心でした。
母が信じていることをわたしも信じたい。
母の感じている喜びをわたしも理解したい。
やがて、親が引っ越すことになった開拓者の友人と、パートナー生活(同性信者二人でルームシェアをすること)を始めました。
月7万ほどの収入で、家賃35000円のアパートに暮らし、月の共同食費は15000円、光熱費その他10000円。お互い3万ずつ出してやりくりしていました。
奉仕、仕事、集会、家事。宗教的に充実した日々です。
頑張って、頑張って、頑張って
22歳頃から、ニキビが出始めました。
すごい勢いで広がり、膿だらけの汚い顔。
色々試しましたがなかなか良くならず、若い盛りに容姿への自信をすっかりなくしました。
そして、23歳になった頃。
朝、中々起き上がれなくなりました。
だるくて、体に力が入らなくて、血の気が引く感覚。
病院に行きましたが、貧血も何もありません。
健康食品を試したり、漢方薬を飲んだりしましたが、具合は悪くなる一方です。
何の検査をしても異常はなく、パートナー生活のストレスのせいだろうと思いました。
開拓奉仕をやめて、パートナー生活を解消し、実家に戻ることになりました。
このときは、負担を減らして少し休めば、すぐ元に戻ると思っていました。
離れるまでの経緯・1
違和感を感じたのは、いつからだったか。
『奉仕(伝道活動)は喜び』
『神の愛に心が動き、語らずにはいられない』
霊性が高ければ、当然起こるはずの反応とされることが、どんなに頑張ってもわたしには起こらなかった。
奉仕は大嫌い。
恥ずかしいから黙っていたい。
サタンの影響を受けているからだ……
わたしが罪深いからだ……
と、落ち込んだけれど、
いや、普通に嫌だよね。
と、今は思います。
でも、そんな判断できなかった。
『子供たちよ、主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです』(エフェソス6:1)
子どもにはわからないことも多いが、親に従えば間違いない。
逆らうな。神が親に権限を与えている。
『義なる者たちの道筋は、日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増してゆく輝く光のようだ』(箴言 4:18)
知識が増えて賢くなるにつれ、それまで理解できなかったことがわかるようになる。
納得いかない、わからないと思っても、深い理由があるからとりあえず従っておけば良い。
時々組織の教義が変わるのもそのせい。時代に合わせて成熟し、理解が深まったのだ。
『愚かさが少年の心に愚かさが繋がれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す』(箴言 22:15)
一言で言うと、性悪説。
子どもはサタンの影響を受けやすい。親が引き剥がさないとダメ。
そんな教えの数々で、自尊心は崩壊し、評価を依存し、
違和感は全て
「わたしがバカだから、悪いから」
で、片付けていました。
でも、頑張って霊性を高めれば消えると思っていた、「バカさ」「悪さ」は、とてもしつこくて、どんなに頑張っても消えなかった。
予習が面倒。
集会行きたくない。
野外奉仕なんて大嫌い。
神の存在の実感なんてない。
組織に所属してるのが恥ずかしい。
証言なんてしたくない。皆と一緒がいい。
言われる通りのことをして、
自分でも思い込もうとして、
大好きな漫画も捨てて、進学も就職も諦めて、
どんなに「進歩」してもついて回るので、
自分は相当な性悪なんだと思っていました。
訪問来た
住まいが管理人常駐のオートロックマンションなので、あまりエホバの証人の訪問を受けることがなかったのですが。
来た!
お手紙戦法で!
なるほど、よく考えてますね。
お手紙なら、管理人さんがいても入れやすい。
そしてね、これ、半分直筆です。
書くのに時間かかりますよね。
伝道活動のノルマは件数ではありません。時間です。
手紙や電話の証言も、正式に報告できる時間です。
丁寧に書いて時間のかかるほど、報告できる奉仕時間が多くなります。
快適な部屋で座ったまま、原文をうつす作業でたくさんの時間を達成できる……
本当にめんどくさいところは印刷だし。
歓迎されない初対面の人に緊張しながらしゃべることもない。
楽で精神的負担も少なく、効果はそれなりにありそう。
いいね!当時わたしもやりたかったよ、これ!(笑)
このテンプレは、会衆の誰かが考えたのかしら?
全国で共有されてるのかしら?
色々工夫されてるんですね。
そして今の聖書研究って、5~15分なの?短っ!
昔は1時間が普通でしたが、時代に合わせてるんでしょうね。
裏事情を知ってる分、なんだか面白かったです。
しかし、
「神は彼らの目から全ての涙をぬぐい去ってくださり、もはや死はなく、嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである。」
省略されてる聖句のフルバージョン、今でもそらで言えるわ(笑)
同封のパンフレット。
あれ、画像、横向きになってる?
縦にできないの?
エホバの証人の教理や組織について
エホバの証人って何を教えてるの?どんな人たち?
と、疑問な方も多いと思うので、まとめてみたいと思います。
●エホバの証人の教理概要
エホバの証人は、神の言葉である聖書を唯一かつ絶対の教典とし、聖書の教えに忠実に生きようとするグループです。
1870年代、アメリカでチャールズ・テイズ・ラッセルが創設しました。
「エホバ」は神の名の呼び方のひとつ。英語では「jehovah(ジェホーバ)」。他にヤハウェと呼ばれることも多いです。
ちなみに、エホバの証人がよくJWと略されるのは、英語表記のjehovah's witnessesの略です。
なぜ呼び方に相違が出るかというと、聖書の原典のヘブライ語の記載は母音を省略する書き方(yhwh、またはjhwhに相当)で、実際に当時何と読まれていたかはっきりしないから。
日本語でも、文献の漢字の読みに二通りの説があること、ありますよね。
神エホバが最初に創造したのはイエス・キリストでした。それからイエスの助けを借りてみ使い(天使)たちを作り、宇宙を作り、地球を作り、最後に人間を創造しました。
神が1人で創ったのはイエスだけなので、イエスは神の1人息子です。イエスは三位一体の神ではありません。
ある時、み使いの中でも極めて有能だったサタンは、自惚れて反旗を翻し、人間をそそのかしました。人間は禁断の実を食べることにより、事実上神の支配を拒絶しました。
神の支配がなくても、うまくやっていけるのか?やれるもんならやってみなさい。
そうして悪魔となったサタンの影響下で、楽園を追われた人間は生活を初めました。
神から離れてうまくやるのは無理だと悟る善人たちを導き、最初の人間アダムが失った完全な命を取り戻すため、神は地上にイエス・キリストを遣わされました。
イエスは処刑されることにより、アダムの罪の贖いとなり、人間に完全な命を取り戻すチャンスを開きました。以降の善人は、イエスの共同統治者となるべく、死後天に召されることになりました。
ただし、その人数は決まっています。14万4千人。
その数があらかた召され、イエス・キリストが王として即位したのが1914年。第一次世界対戦勃発の年です。戦争が起きて世界が荒れ始めたのは、いよいよ劣勢になったサタンがやけくそになって暴れだしたから。
14万4千人が満ちた後、今度はその国民となる、地上の楽園で生きる者たちが集められることになりました。この者たちは、ハルマゲドンで悪人が一掃された後生き残り、永遠の命を得ます。ハルマゲドンまでに亡くなった善人は、神の再創造により生き返ります。
現代、その善人と呼べるのは、聖書に忠実に従うエホバの証人だけです。一般のキリスト教は異教と交わり、戦争を行い、金銭や道徳面で腐敗し、サタンに操られています。
エホバの証人は戦争に加わらず、異教の教えも注意深く拒絶します。不道徳や血を避け、清さを保ちます。金銭的にも清廉潔白です。
エホバは統治体と呼ばれる、本部の中央組織を通して、エホバの証人を導いています。
……というのが、主な教理です。
エホバの証人として最も重要なのは、上記の「真理」を世界中に宣伝することです。
信者全員が伝道者。伝道活動をしない者は、信者として認められません。
信者は毎月、伝道活動に費やした時間や配布物の数を報告します。この報告がないと、「不活発」として指導が入ります。
伝道活動は信仰の証明です。これに熱心なほど、組織内で重用されます。
●エホバの証人の組織形態
まずアメリカに本部があり、ここに神の啓示を受ける統治体(十数名からなる組織)がいます。
そして、世界各地に支部があります。日本支部は神奈川県海老名市にあります。日本各地は、【地域】>【巡回区】>【会衆】に分類され、それぞれに[地域監督]、[巡回監督]、[長老]がいます。この【会衆】単位で、週に数回、集会を行います。(以前は3回でしたが、今は2回のようです)【会衆】は、さらに【群れ】に分けられます。この【群れ】ごとに伝道活動が組織されます。
会衆には世話役として[長老]が1~4名ほどおり、補佐として[奉仕の僕]が数名います。全員男性です。ステージから講話ができるのも、男性のみです。
他に、伝道活動に打ち込む順に、【宣教者】>【特別開拓者】>【正規開拓者】>【補助開拓者】という資格があります。これは女性でもなれます。
【宣教者】と【特別開拓者】は巡回監督の推薦を経て組織から任命され、金銭的援助を得て、一般の仕事をすることなく伝道活動に専念できます。宣教者は外国に行きます。
【正規開拓者】【補助開拓者】は、素行が悪くなければ誰でもなれます。【正規開拓者】は月70時間(20年前は年1000時間)、【補助開拓者】は月50時間(20年前は60時間)を伝道に費やします。(今はまた変わってるかも)
多くの未信者が滅びるかどうかの瀬戸際に、学業や仕事にかまけてる暇はない!この世で地位を得ても意味ないし!と、進学やフルタイムの仕事を犠牲にする人が多いです。なので、大学生や正社員は少ないです。
活動資金は、全て寄付で賄われます。金額の規定などはありません。資金が不足しているときは、集会で状況を伝え、「皆様の温かいご寄付に感謝します」と、「トイレをきれいに使用してくださりありがとうございます」方式の催促がされます。
「王国会館」と呼ばれる集会所は、建設プロジェクトにより安価に建設されます。速成建設の手順が確立されており、なんといっても人件費無料です。ボランティアがわんさか来ます。
建設奉仕に参加すると、正規開拓者に考慮時間が加算されます。無償で働いた分、伝道活動を減らせるわけです。食事も3食提供され、民泊で宿泊無料です。タダで技術も学べます。うまいwinwinシステムです。
印刷所も独自のものを持っており、出版物は自前です。ほぼ全ての作業を信者が行います。印刷工場は支部内にあり、ベテルと呼ばれ、そこで働くベテル奉仕は超エリートなので皆の憧れです。
●エホバの証人の信者
エホバ証人になるには、
①書籍の質疑応答で行われる聖書研究(基本的にマンツーマン。無料)により知識を得る
②集会に出席
③王国宣教学校に入学(集会内で行われる伝道教育。テクニック指導、実演発表などがある)
④伝道活動に参加し、伝道者となる
⑤教えを理解しているか、長老との面接試験
⑥バプテスマ(浸礼儀式)を受ける
という段階を踏みます。
信者になった時点でかなりの審査を潜り抜けているので、信者というだけで、初対面でもお互いを信用します。
信者同士は真の愛で結ばれており、お互いを「兄弟」「姉妹」と呼んで、温かな人間関係を築くことができます。
……でもまあ、やっぱり色々あるみたいです(^_^;)
そこは大体、「人間は不完全」で流されます。
信者は、世の中の一般的な地位には無頓着で、自分たちは神に選ばれた民だという誇りがあります。神の国民なので、他の政治には参加しません。
信者でない人たちは、「真理を知らない可哀想な人たち」だという認識です。
一人でも多く救いたいと、親切心で歓迎されない訪問を繰り返します。「教えてあげないと、知らないまま滅びてしまう」とか、「ちゃんと聞いて学べば、絶対に納得するはず」とか思っています。
「真理を知ったのに」離れた信者には冷淡です。大罪を犯すと「排斥」という除籍措置の上、徹底無視の制裁が加えられます。無視に耐え、しおらしく集会に長期間通い続けることで、許されることもあります。自分から離れると宣言する「断絶」も同じ扱いです。
主な禁止行為は、
・婚外の性行為(自慰もダメ)
・ポルノ(エロコンテンツ見たらダメ)
・タバコ、麻薬、泥酔
・輸血、血を含んだものを食べる
・同性愛(欲求があっても表に出さない)
・偶像崇拝(十字架、国歌、過度なアイドル推しなども)
・異教行為(墓参り等は無論、クリスマスや誕生日なども)
・政治活動(選挙の投票も)
・戦闘(格闘系スポーツ含む)
・命を粗末にする行為(堕胎、自殺行為、バンジージャンプなど)
・オカルト(魔法や霊の出る作品含む)
・背教(教理に異論を唱える、そういう本を読む)
などです。
これらをやった上悔い改めないと、審理委員会にかけられて排斥になります。
教義は時代によって変化することもありますが、それは「その時代には理解できないので便宜上そう教えられたが、状況が整ったのでレベルアップした」という理解です。
「間違ってた、ごめん」ではなく、「更に高い場所に導かれました!」みたいなアプローチ。
その最たるものはハルマゲドンの時期で、「1914年に来る!」→「1975年に来る!」→「世代が過ぎ去る前=1914年を覚えている人がいなくなる前に来る!」→「1914年までに生まれた人がいなくなる前に来る!」→「世代というくくりは後から見ないとわからない」→「時期は神にしかわからない」……のように、変化してきました。
多くの2世がトラウマとなっている、懲らしめの鞭棒(四つん這いでお尻を出し、叩かれる体罰)も、現在は使用されていないようです。
エホバの証人は男女の区別をはっきりつけています。端的に言うと男尊女卑。女性は男性を補う役割しかありません。理由は「そのように創られているから」。アダムに禁断の実を食べさせたエバ(イブ)を筆頭に、女性がでしゃばるとろくなことがないのです。男に従ってこそ幸せなのです。
会衆を教え指導するのは男性の仕事。家庭でも「頭の権」は夫にあり、妻は服従します。
同性愛者は許容されません。神の創った自然の状態に反するからです。
性に応じた慎みのある服装をしなければならず、女性はスカートが基本です。膝上丈はNGです。
……だいぶ時代錯誤な価値観ですが、今でもブレてないのかなぁ。
エホバの証人が祝う記念日は、イエス・キリストの死の記念日(ニサン14日。春分頃の満月の日)です。贖いにより罪から解放されたからです。静かに記念式を行います。
それ以外はほとんど祝いません。世間で祝われるものは異教由来とされてNGなものがほとんどです。誕生日、正月、節分、バレンタイン、雛祭り、ホワイトデー、イースター、子供の日、母の日、父の日、七夕、ハロウィン、クリスマス……
差し支えないのは結婚記念日や入学進級卒業祝いくらいかな。
なので、学生生活ではめちゃくちゃ浮きます。
幼稚園なんてそんなのばかりですから、幼稚園に行かせない選択をする親も多いです。
同年代との集団生活未経験でいきなり小学校。
2世の試練は果てしないです。
未信者はあくまで教育対象で、交友は推奨されていません。関わるなら真理を伝えなさいというわけです。
一緒にできないイベントも多く、偏見の目もあり、集会に予習に伝道にと忙しいので、組織外で友達を作るのが難しいです。
結果、組織内で密な人間関係が出来上がり、エホバの証人を辞めたら頼る人がいないという状況になりがちです。そこに反したら無視という制裁が控えているため、非常に抜けにくいです。
でも心から信じて伝道が苦ではなく、清廉潔白な価値観が心地よい人にとっては、パラダイスです。
死んでも復活して永遠の命。死の恐怖からも解放されます。
言われることさえやれば、どんどん褒められます。笑顔と善意に囲まれます。どこに行ってもその地区の会衆があり、助けてくれる友達がいます。
その場で報われなくても、神は見ていてくださいます。必ずいつか報われます。
その心の安定は、宗教にしかなし得ない、偉大なものだと思います。
以上が、エホバの証人の概要です。
娯楽の制限
わたしは、本を読むことと、絵を描くことがとても好きでした。
ですが、当時エホバの証人の娯楽の制限は、とても厳しいものでした。
健全なものでなければ認められず、魔法、戦い、恋愛ものなどは、「ふさわしくない」と言われていました。
魔法少女もの、戦隊もの、少女漫画……興味はあっても、母の前で見ることはできませんでした。
見ていいテレビ番組も1日ひとつと制限されていました。世界名作劇場、スポーツアニメ、わくわく動物ランドなどを見ていました。ドラえもんは集会の時間に被っていて、あまり見られませんでした。
集会は、基本的に火、金、日の週に3回あり、それぞれに予習が必要で、個別の聖書研究もあり、土曜日は野外奉仕なので、とても忙しくて遊ぶ暇もあまりありませんでした。
小学校3年生のとき、友達と一旦帰ってからすぐ待ち合わせて遊ぶ約束をしましたが、わたしは個別の聖書研究の日だということを忘れていました。
友達を待たせているからと言っても許してもらえず、聖書研究を終えて大急ぎで待ち合わせ場所に行くと、友達は諦めて帰った後でした。
それ以降、わたしは放課後友達と遊ぶことを諦めました。そもそも、信者以外と遊ぶことは悪い影響を受けるからと非推奨で、母の了解を得るのも一苦労だったのです。
漫画は新聞の4コマや学習漫画しか知らず、絵のお手本はぬりえでした。
着せ替え人形や紙芝居をよく作って遊んでいました。
わたしはサンリオのキキとララが好きで、よく真似して描いていました。
でもあるとき、信者の間でキキとララは水子供養のキャラクターだという噂が流れ、禁止されてしまいました。とても悲しかったです。
後に、大人になってからこれがデマだと知り、組織から心が離れる決定打になりました。数少ない健全な娯楽にケチがつき、ひどく悲しい思いをしたのに、それがデマだった。神に導かれている組織ではなかったのか、あの日のわたしの痛みは無駄だったのか、と本当にショックでした。
小学校5年生のとき、定期的にお小遣いをもらうようになりました。その頃、学校で友達が漫画雑誌の話で盛り上がっていたので、読んでみたくてこっそり買ってみました。
丁度、ちびまる子ちゃんの連載が始まった号のりぼんでした。ときめきトゥナイト、星の瞳のシルエット、ポニーテール白書……女の子の夢がぎっしり詰まっていて、夢中になってしまいました。
毎月、親に内緒でりぼんを買いながら、ぼんやりとわたしは楽園(教理上の、善人への報い。天国とは違い、悪人を一掃した地上で実現するとされている。死んだ善人も甦る)に行けないのかなと思っていました。
それでも自制はできなくて、お母さんごめんなさい、とずっと思っていました。
エホバ(神様)ごめんなさい、ではなく、お母さんごめんなさいだったあたり、わたしには初めから信仰なんてなくて、神ではなく母を喜ばせるために宗教をやってたんだなぁ、と思います。
音楽にも、スポーツにも制限がありました。
音楽の制限は、わたしが20歳くらいのときが一番厳しかったです。「各々良心に従って選ぶように」と言われていましたが、クラシック、童謡、組織が制作した賛美の歌くらいしか許されない雰囲気でした。(当時の独特の雰囲気で、今はもっとずっと緩いと思います)
スポーツは、戦いNGなので格闘技は禁止されていました。柔剣道の授業を拒否して退学になった人もいました。運動会の騎馬戦なども参加できませんでしたし、対立を煽る応援合戦にも参加できませんでした。国歌も校歌も国旗掲揚も、国や学校を崇拝するものとされて参加できなかったので、毎年運動会は針のむしろでした。
先生にやりませんと自分で言いに行き、了解をもらい、みんなと違うことをしなければならない。とても恥ずかしくて、とても辛かったです。でもそれはあくまで、「自発的に」やることでした。責任は全て自分にありました。
でも、母を喜ばせたい、がっかりさせたくない。ただ、その一心でした。
母はとても愛情深い人で、わたしは母を愛していました。今も、愛しています。
数々のことも、ただ真面目に、わたしたちのためになると信じていただけで、動機は心からの愛情だったと感じています。
なので、母を恨む気にはなれません。
そしてもはや、母は宗教から離れて生きることは難しいと思います。
心から信じて人生を捧げてきましたし、人間関係の大部分が組織内にあり、もう高齢の域に差し掛かっています。信者でない父ともうまくやっていますし、信者の友人たちも、基本的に正直で親切な人です。
自分が正しいと思えないからといって、満足している人たちを引き離すのが良いこととは、わたしは思えません。もちろん、深刻な実害があれば別ですが。
実際、心から信じることができれば、心を平穏に、幸せでいられる宗教ではないかと思います。
母は母で、幸せであって欲しいです。
ただ、合わない人が、合わないからと言って離れることが許されない。この一点が、この宗教の大きすぎる問題なのだと思います。
大きな罪を犯して除籍される、又は自分から辞めると宣言した場合、行われるのは忌避です。徹底的に、無視される。家族間であっても、必要最低限しか関われない。
多くの2世が違和感を感じても離れられないのは、親兄弟から無視され孤立する恐怖が大きいからだと思います。わたしもそうでした。
なので、離れるにはゆっくりとフェードアウトしてうやむやにするしかありませんでした。
この点だけは、どうか組織に寛容になって欲しい。子どもの自由意思を尊重して欲しいと思います。それこそ、洗脳と言われても仕方がない、鞭より、娯楽の制限より、ひどい虐待だと思うのです。
立ち返らせるための愛の処置だと言われていましたが、無視が辛くて戻ってくるなんて……そんなの、信仰もなにも関係ないと思います。
入信の経緯
わたしの家族は、父、母、2歳下の弟、5歳下の妹の5人でした。
母がエホバの証人と聖書研究を始めたのは、わたしが4~5歳の頃です。
母の姉が入信しており、本を受け取っていた母は、訪問したエホバの証人にその本を見せ、子育てに悩んでいたのをきっかけに研究に応じました。
母は自我が弱く、自分より他人を優先する、いわゆるお人好しなタイプで、父と結婚したのも「断ったら可哀想」という理由でした。
自分の意志があまりなく、承認欲求が強い母に、「こうしていれば間違いない」と明確に指示をくれるエホバの証人の教理はぴたりとハマったようです。
わたしが初めて集会に行ったのは、幼稚園年長の頃だったと思います。定期的に行くようになったのは、小学1年生の頃です。
その頃のわたしは知識を増やすのが楽しく、周囲に比べて賢くなったようで誇らしく思っていました。
1年生のときの担任は宗教的なものに寛容で、覚えた聖句を披露したりすると、とても褒めてくれました。
でも、2年生のときの担任は冷たい反応で、ショックを受けました。聖書を勉強したら、みんなに褒められるのではないの?と。
そして、2年生になる頃には、母の子育ても厳しくなりました。研究司会者に勧められるまま、子育てに鞭が導入されました。
細い棒などでお尻を叩く、体罰です。
パンツを脱いで四つん這いになり、叩かれた後は「ありがとうございました」とお礼を言わなければなりません。
叩けば叩くほど、子どもの中の悪霊が追い出され、従順に健やかに育つと言われていました。
わたしもそれを信じ、嫌でたまらないけれど、自分に悪霊がついているから仕方ないのだと思っていました。
でも、叩かれる基準がよくわからず、とにかく親の顔色を伺い、不用意なことをしゃべらないよういつも緊張していました。そうして努力しても鞭は回避できず、自分についた悪霊の根深さに絶望し、自尊心はどんどん低くなっていったと思います。
鞭に関しては母にも戸惑いがあったようですが、当時の母の研究司会者に厳しく指導され、それが子どもの為だと信じ、言われるがままに叩いていました。特に、学校にも幼稚園にも行っていなかった小さな妹が散々叩かれました。
母も、このときのことは後悔しているそうです。
異教の習慣だからということで、誕生日やクリスマスを祝わなくなったのもこのころでした。
母に連れられて野外奉仕(伝道活動)に参加するようにもなりました。人見知りなので、恥ずかしくてとても嫌でしたが、逆らう選択肢はなく、褒められようと頑張りました。
母はどんどん熱心になり、わたしが3年生のとき、バプテスマを受けて正式な信者になりました。
この頃には、わたしは家の宗教は対外的に恥ずかしいものだと認識し、なるべく隠したいと思うようになっていました。
はじめまして
みずみ綾(あや)、関西在住の子持ち主婦です。
最近、「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」「カルト宗教信じてました。」など、2世のエッセイ漫画を読み、自分の経験もどこかで吐き出したくなりました。
わたしは通称「エホバの証人」、宗教法人名称「ものみの塔聖書冊子協会」に所属していました。
6歳から集会に行き始め、10歳で伝道者になり、15歳でバプテスマを受けました。19~23歳の頃は、開拓奉仕をしていました。
頑張りすぎて体を壊し、散々病院を巡った挙げ句、体ではなく精神を病んでいるのだと悟り、自分と向き合うようになった結果、自分はこの宗教を信じていないとはっきり自覚しました。
それから10年以上かけて慎重にフェードアウトし、今は信者の家族と程よい距離を保ちつつ、自由な生活を楽しんでいます。
このブログは、エホバの証人を批判する目的で開設したわけではありません。
ただ、自分の過去と気持ちを整理したいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。